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知りませんでした

 投稿者:まる  投稿日:2012年 5月 6日(日)19時02分4秒
  はじめまして
昨日このような掲示板を知り、一気に22頁を読んだので支離滅裂な所があると思いますが、少しお話させてください。
私は教会の一番目に生まれたこともあり、多分3歳位の頃からおつとめをさせられていました。小学生の時には、朝づとめに起きなかったら夕づとめをさぼったら、学校へ行かなくていいと何時間も神殿に正座させれ、少年会、学生会、修養科、講習、すべて否応なしにさせられて育ちました。また、教会で育てられたおかげで、天理教を信仰している大人の方々の姿もしっかり見ることができ、言う事とやる事の違いが余りにも大きすぎて、天理教がだ~っい嫌いでした。早く教会から脱出する事ばかり考えていたものです。中学生の頃から高校生の頃は死にたくてたまりませんでした。どういう風に死ぬのが一番楽なのか調べたこともありましたね。
それで、20歳過ぎた頃、家(教会)を出ました。定職にも就かず短期のアルバイト(国内あちこちで)をして過ごしてました。つい最近まで。おふでさきに  いばらくろうもがけみちもつるぎのなかもとおりぬけたら  (このあとも3首?続いてありましたよね。確か?最後は  ~おうかんのみち  だったような・・  ) ほんとにしんどい道のりでした。    そのしんどい道中、幾度となく助けられたのが天理教の教えでした。 天理教が大嫌いだったので、強制的にさせられていた朝・夕のおつとめで頭の中に自然と記憶されていた事だけでしたが。節目節目で聞こえてくるのです。しんどくて、しんどくて「何で私だけこんなに辛い思いをしなきゃいけないの?」と心から訴えていると、教えてもらえるのです。私の魂のどういう所を成長させるためにその出来事が起きているのかを。その時両親に感謝しました。両親の所に生まれさせてもらえたから今がある。今の自分が大好きです。まだまだ未熟ですが。死ぬまで一生勉強だと思っているので未熟で当たり前だと思っています。
  結局、私は天理教が嫌いなのではなく、天理教の組織が嫌いだったのだと気付きました。天の理(ことわり)・宇宙の法則を教えてくださっているのですものね。そう気付いた時から私は、対神様で判断する事にしました。神様と1:1で向き合って決め行動しています。もちろん、道が逸れてるときは「ちがうよ」とお知らせくださいます。そのサインを見逃さなければ、楽しい毎日です。(とは言っても、人間ですから時には落ち込み時には愚れます)
  本題に入りますね。
天理教の教えは素晴らしい!とは思うのですが  ???  本当におやさまはそうお教えくださったの?と私の知り得る少ない
教えの中にも疑問がいっぱいだった訳です。でも、皆様のお話を聞く事ができ、やっぱりそうかと納得、感激しました。
ありがとうございます。

もう、何年も天理教の活動や行事は参加していませんが、日々、明るく素直でまあるい心で生活するように心がけています。そうすると、どうしてそんなに楽しそううなの?と悩みを抱えている人は聞いてきます。その時、私の知り得るお話をさせてもらいます。
  私は、みんなが天理教を信仰しなければいけないとは思いません。現に、天理教を知らなくても天の理に沿った生き方をされてる素敵な方が多勢いらっしゃいます。神人和楽の陽気な世の中になればいいのだと思います。だから、私は、身近な人が笑顔になるお手伝いができればいいと思っています。その笑顔の輪が少しずつ、少しずつ広がって行くことを願って。
「 もりじ」さん すごく明るい毎日を送られていらっしゃる感じを受けました。読ませていただくだけで、何だかとっても嬉しくて笑顔になります。ありがとうございます。
 

擬人化の提起

 投稿者:中年  投稿日:2012年 5月 5日(土)14時38分32秒
  擬人化の提起について、あまり反応がありませんね。

私の提起は擬人化の『人』の部分について、教内の方々があまりにも強調した言い方で引用
するきらいがあるのではないかという提起なのです。
おそらく、天上界にて神話の世界に君臨するような存在イメージを夫々の方々が夫々なりの
感覚とイメージで捉えているのではないでしょうか。
つまり、信仰者夫々が千差万別で捉えている姿?形?があるということです。

私は天地大自然の働きと摂理を法則(天の理)(人の道)として、私達に解き明かしてくれ
た教祖様の存在こそが天理教の天理教たる所以と思います。
教祖様が神の社となって教え示された(天の理・人の道)の教えこそを根本教理として歩む
べきではないかと思うのです。

親神様の働きと守護を表す形態を擬人化して説くのではなく、教祖様の教えとして説くこと
が肝要だと思います。(神の社となられたのですから)

次に親神様の擬人化について、私は『具象化』した存在として総合的に捉えております。
大自然の摂理と役割・守護については、私達人間に示す形態として『親神様』の名称を示さ
れたと考えます。
たとえば仏教伽藍に配置されている多くの仏像群には、夫々の役割と守護に応じて名称がつ
けられております。
しかし仏像の姿そのままで天上界や六道に存在している訳ではありません。
私達人間の日常的心使いの結果招いてしまう(或いは陥ってしまう)様々な心境と現象結果
を天地の摂理という公式で示すと、嘆き・苦しみや喜び・感謝などなど様々に心が変化して
ゆく様が胎像界曼荼羅・金剛界曼荼羅などに描かれております。
その時々の救いを求める姿と役割を形に示す『具象化』として仏像群に表しております。

同様に私が信仰する天理教では、教祖様がこうした天の理・大自然の摂理の働きと守護の原
理・真理を『元の神・実の神』の社として私たちに示されたと解釈しております。
しかも現代ではなく、あの時代に180度も違う価値観の教えでした。

私は神という名の具象化した存在は信じます。というより天地自然の摂理と天理の存在を認
識した上で認めます。
ただし『擬人化』した神の存在は信仰者として否定はしませんが、限りなく???です。
私にとっては『元の神・実の神』の社となられ『天の理』を明るく希望の持てる教えとして
示された『教祖様』の教えに添った通り方が、雛形です。
 

神社の宮司が

 投稿者:信仰者  投稿日:2012年 4月24日(火)01時10分10秒
  それなりの規模と格式を備えた神社の宮司さんから貴重な言葉を聴きました。
神道は哲学なんだよ。自然の摂理と人間の生き方を極める哲学なんだよ。
君は天理教だよね。 天理教の中山みきさんは偉大な宗教家であると同時に偉大な思想家でもあるよ。
幕末の時代に神という存在から人類を俯瞰して、平等思想による人間の生き方を一気に広めたんだよ。

確かこんな話しでした。
 

言われてみれば

 投稿者:ようぼく  投稿日:2012年 4月24日(火)00時40分24秒
  確かに、擬人化しすぎる部分はあるかもしれない。

神様のそろばんという出版物なんかを読むと、天上界から我ら人間をジッと見つめているような感覚になる。

おやさまの教えが重要で、宇宙、地球、大自然の摂理が神の守護。陽気暮らしの教えは人としての生き方を教え

られたのかも。 あの時代の学問知識のレベルを遥かに凌駕する思想体系を打ち出したということか。

 

(無題)

 投稿者:中年  投稿日:2012年 4月21日(土)15時47分40秒
  個人の信仰と教団組織の仕分けが心でしっかりできると、気持ちの持ちようが随分楽になり
ます。
教団組織はあくまで信仰者集団の教化育成を効率的に運営する一つの形態ですね。
だからと言って、否定するとか無視するのではなく役職ポジションとして常識的に接遇すれ
ば良いのです。
どうも天理教の方々は必要以上に役職者に対して、へりくだり過ぎたり大仰に構えてしまう
悪い癖があるようなのです。宗教界全般に言えることかもしれませんが・・・
こうしたことの繰り返しが何世代も繰り返されて今日の形態になってしまったのでしょう。
ただし、天理教の場合はそれが極端すぎますね。
世界一列兄弟と言いつつ、封建時代の絶対的家父長制度や本家・分家制度。宗家・家元など
の制度にこうした名残が窺えますが、天理教は『理の親』という何とも不思議な造語で上下
関係を構築してしまったと考察できます。
理とは天の理。教祖様が示された親神様の思し召しの仕組み、或いは働きの数々を様々な理
として解き明かしていただいた言わば公式・数式と受け止めております。
したがって、一列兄弟の教えの中には家族・親子のように血族の因子DNAによる親子関係での
親子は存在しても、教理上の理の親は存在してはいけないとさえ思っております。
世界一列は皆我が子といいながら、我が子の中で親子を作り上げてしまいました。

この考えについて皆様の批評をいただければ嬉しく思います。まだまだ教理の研鑽途上にあり
ますので、宜しくお願いいたします。

天理の教えは、陽気暮らしをするさまを見て共に楽しみたいとの思し召しから教祖様により
私たちに示されました。
しかも、仏教や因習による因縁・罰・宿業・地獄極楽論に縛られていた当時の人々に対して
因縁では無く埃。埃は日々祓えば良い。八つの埃を日々祓う努力。死ではなく出直し。ここ
はこの世の極楽。早く陽気になりて来い。
かなり端折った言い方ですが、私はこの教えに触れて、何と明るい希望を与えてくれる教え
だろうと感動さえ覚えたものです。
ただ一つ気になるのは、天地自然の働きを示された教祖様に相対して親神様の働きを擬人化
した存在のように説明してしまう方々が教内には多く存在するということです。
聞かされるほうも擬人化したイメージで受け止めてしまうのでしょうね。
基本中の基本が疎かの印象を強く受けます。
 

社会で働こう

 投稿者:中年  投稿日:2012年 4月17日(火)15時53分16秒
  このかん少し理屈っぽくなってしまい反省しております。

抽象的ですが私の自己紹介を少しいたします。現在は中堅企業の上級管理職を経て役員待遇
で奉職しております。性格は明るいほうで趣味はアウトドア派(縦走登山やトレッキング)
ですが史跡めぐりと歴史研究をライフワークにしております。読書はヤヤ活字中毒の気があ
るようで、最近は家内から本の山を少し整理して下さいとクレームが入ります。
ここ数年は宗教関係の本を乱読に近い状態で読み漁っております。就寝前はお笑いのDVDや、
一時代前の練りこんだ漫才や落語などをゲラゲラ笑いながら見る事で昼間の緊張をほぐして
お休みなさい・・・です。
家内からはロマンチストですねとお褒めの言葉を戴くと同時に、典型的なA型だと言われるの
ですが、血液型には興味が無いのでチンプンカンプンです。

家族は結婚30周年の家内と(熱烈恋愛結婚)1男2女の5人家族。子供達はそれぞれ結婚して
近所に住んでいます。子供達が結婚する前は家族でアチラコチラに良く出かけましたね。
子供達が企画して、経費は親が負担という事ですがキャンプとかドライブ等など和気藹々で
した。ある時期からそれぞれの婚約者が同行するようになった時は、親父としてチョイト
複雑な心境でしたが、初孫も授かり爺さんになりました。

先日の夜、家内とお洒落に紅茶なんかを楽しみながら、様々な思い出話しに花が咲いて深夜
2時過ぎまで話しこんでしまったのですが、後が大変。家内共々トイレに2回も起きる羽目
になってしまいました・・・(笑)・・

私達夫婦はお蔭様で結婚以来、月に数回はこんな感じで仕事の話や子供達の事、天理教の事
など様々な話題をよく話す夫婦ですが、思い出話しのついでに家内曰く

『貴方と交際を始めてから少しして、仲間に紹介したいから教会に行こう』
と言われた時にキリスト教のチャペルを思い描いていたそうで

『なんて素敵な人だろう・・・』と思ったそうですよ(笑)
少しの緊張感とチャペルのイメージ・・・

『私もやがて洗礼を受けるのかしら・・・』
との期待感で同行してみれば

『黒いハッピを着た若い男女が15~6人ガヤガヤ集まっていた』
『夕方、いきなり拍子木と太鼓と鉦が鳴り出して、これは何なんだ・・・』

初めて天理教の教会を見た家内は強烈なカルチャーショックを受けたようです。
ここは何処?私はだれ?みたいな感じだったようで・・・

当時は教会・系統を超えて地域(横)の繋がりを基に、青年会活動がとても活発に開催され
ていた時代でした。そうした同世代の青年会・女子青年の仲間とは今でもOB会として楽しく
交流しておりますが、こうした多くの同世代の明るく楽しい雰囲気が家内に安心感を与えた
ようで自然に溶け込んでくれました。

歩いて5分~10分の近所にお道の仲間がいるというのは楽しいですよ~~~。
しかも道専務・後継者だけでなく大半が会社勤めのメンバーでしたから話題も豊富で練り合
いだけで時間超過でした。布教活動・路傍講演、団参企画、ハイキング、老人ホームの定期
訪問、地域教会の月次祭参加(鳴り物・おてふり)とにかく色々な活動を楽しく展開してい
た時代でした。

所属・系統を超えた地域の繋がりというのはとても大切な事だと思います。
お互いの子供達も小さい頃から知っているので子育ての悩みや家族の喜びと悩み等、お互いに
共有できるのです。子供達も小さいときから顔見知りですしね。 親としてはでしゃばらない
程度に後方支援をしていると、それなりのグループ活動(お道)をしているようです。
ただし、どういう訳か所属教会には行かず近所の教会で集まってワイワイやっているのです。

そんなお互いの子供達から先日申し入れ?がありました。5月の後半にOBと現役の交流会開催
の提案です。しかも企画書には『青春時代を振り返って』と『若者の提案』というタイトルが
ありました。ドキッ・・・ですね。

OB数人で集まり、とにかく上から目線は不可。問題提起が有ったら受け止めて共に考えよう。
○○さんは説教垂れの癖があるから事前に協議しておこう。などなど久々に緊張感と楽しさで
待ち遠しい思いです。

とまあ、こんな日常ですが、やはり今の教団の実態を見ると『教えは続き、組織は滅び』に向
かっているように思うのです。
信仰的な見地ではなく企業経営の視点から見れば、合理化とリニューアルで再建できるか統合
で再建できるか、責任者の移動と人材派遣や社員教育で再建可能か、厳しいチェックが入りま
す。その結果、費用対効果の分析と市場調査の結果不可の判定が出た場合、当該営業所・支店
は廃止或いは資産売却という結論を出します。それは生産工場であってもダメージの少ない時
に大胆な結論を出します。

相対的なバランスシートと損益分岐点。決算書類の分析。これを本部・大教会・分教会・信者
実数・年間収益(お供え)の決算をザックリと分析しても答えというか方向性は見えてくるの
ではと思いますね。
合理化リニューアルという視点から見れば、布教所や信者数の少ない教会は、社会で働くこと
をどんどん進めたほうが良いですね。社会で揉まれる事から得る様々な教訓、人間関係の広が
り、【朝起き・正直・働き】ですから、勤労で社会の生産性に寄与する事は何ら問題は無いと
思うのですが・・・・。
それさえも出来ない場合は解散でしょうね。一信者に戻れば良いではないですか・・・。
親神様・教祖様から見れば一列兄弟。大教会・分教会・信者・の違いでご守護に違いがあるよ
うな教えではありませんよ。あとは当事者の決断するエネルギーでしょうね。

宗教的見地から考察すれば、不可能とされる厳しい地域で熱心な布教活動や献身的な布施行で
維持され隆盛の礎を築いたという逸話が多く語られるようです。
それは有能な人材の登場、或いは人材派遣という経営的視点で捉えれば答えは簡単に出てしま
います。また、そうした逸話はあくまでその当事者の事柄であって、教団組織(例えて、経営
側)の役員は組織運営の責任すなわち経営の責任が常に生じるポジションなのです。
逸話話しは一般信者に対する強化育成と手本話しでしょう。広く感動を与え信仰心の高揚を図
ることから大切な事は言うまでもありませんが、生き様を強制するものではありません。

偉大な教祖様の教えと、教えを広める役職上の本部(本社)役員・職員とは全く違う存在なの
です。これを混同して本部員或いは大教会長だから偉いなどと思う職員は権威主義の最たる見
本ですね。しかも年々信者数の減少に有効な手立てがうてない訳ですから経営側?としては、
失格ですね。

とは言え、私は天理教の教えを求めながら日々精進を重ねます。親神様・教祖様に与えていた
だいた今の境遇に深く感謝し歩んで行きたく思います。
 

悩ましいですね

 投稿者:中年  投稿日:2012年 4月15日(日)18時07分59秒
  かなめ会について教えていただき有難うございました。もう少し具体的に確認したかったの
ですが、たとえば本部役員のみとか大教会長・後継者とかの会員構成内容でしたが、いづれ
にせよいつの間にか悪性腫瘍になってしまった訳ですか・・・。
世間一般の活動団体にもOB会とか顧問会議と称して、現役時代の会長三役クラスが執行部を
退任した後、一気に運営から離れるためある種の寂しさ、もの足りなさ、もう少し関わって
いたいという思いで顧問会議やOB会を結成するケースが多くあります。
こうしたケースには2種類あります。会長経験者のみで構成される顧問会議。三役を含む会
のOB会ですが、OB会の場合は年間2回程度の懇親会などを開催し現役三役も出席して交流会
を開催するとか、葬儀の連絡網で会員の葬儀に出席するとかの緩やかな会ですね。
もう一つの顧問会議と称する会が得てして厄介な存在になりがちなのです。少数のOB会長は
穏やかなのですが、一部のOBが自分の後輩や俗に言う茶坊主イエスマンを現役会長にする為
暗躍する事があります。 慣例的にOB会の意見を参考にするなどという悪しき習慣の団体は
先細り傾向にありますが・・・。 現役会長や三役はOB会からクレームや個人攻撃を受けた
くないための方便として、規約には無い事前の伺いをたてたりしたケースが慣例として残る
ことになったなど等、世間一般にも様々あるものですね。
私は幸か不幸か社会活動の中で両方のケースを体験しています。顧問会議の意向はAという
会長候補、現役役員にはOBからガンガン指令と恫喝に近い電話や面会で説得がありましたね
私がOB会長の一部から賛成を得られなかった大きな要因は、イエスマンでは無かった事。
三役時代には何かにつけて様々な意向を伝えてくるOBが多く存在しました。私がこうした方
々の意向を尊重した会務の運営をするのかどうかのチェックも多分に有った様です。

たとえば、顧問会議のメンバー数人を運営会議・執行部会の会議に加入させろとか、常任顧
問として議決権を付与しろとか様々でしたね・・・。
私はあくまでやんわりと規約上からも、退任した方々の院政は良くない事などを伝えていた
のですが、このあたりがお気に召されなかったようで、まあ凄まじいでっち上げの怪文書ま
で流されました。女癖が悪いとか不正な金を集めているとか、妾を囲っていて離婚寸前だと
か、さすがに頭がおかしくなりそうでしたよ・・・。
後ろから鉄砲の弾が飛んでくるという状態はこういうことかと実感した時でもあります。

あのころを思い出すと、一人になると色々な事を考え出して不安になってしまうのですよね
当時私がしたことは、自らに一点の疾しさも無い事。家族は仲良し(今もです)という事を
関係者に広く伝え、泥仕合には乗らない、私が今まで通ってきた道で皆様が判断して下さい
ということだけを伝え、一切の運動を止めました。この心境になれたのは、周りの方々が私
を次期責任者にしようという動きから押し出してくれた事の信頼感が大きかったですね。
周りの方々も私の家族の事や様々な社会活動の経過を熟知していたという事も大きかったと
思います。 人がなにごと言おうとも神が見ている気をしずめ のお言葉を何回も何回も声
に出して称えていました。

結果は大差で私が就任しましたが顧問会の方々は数ヵ月後に、自分達で規約を作り顧問会議
と名称を変更して、入会資格には会長経験者で顧問会議メンバーの4分の3の承認を得る事
として独自性を持った活動方向を目指しはじめました。
穏健派というか良識派のOBも存在するのですが、ギラギラしたOBについつい押し切られて
しまうようですね。悪貨は良貨を駆逐するの諺どうりの現象です。
これは、直近で退任した場合の私を会員としては入れないぞという事なのですね。
でも悲しいかな、こうした会はOB会のため即高齢化の問題が背中合わせとなります。数年の
間に病のため顧問会議から抜ける方々や嫌気がさして退会する方々が相次ぎ、実態が伴わな
い顧問会議になっております。

私は1期2年で退任の意思を表明したのですが、全会一致で2期3期と継続要請をいただき
さすがに4期めは後任に引き継ぐべきと辞退をいたし今日に至ります。
退任後は顧問会議には加入せず(確認はありましたが辞退)楽しいOB会として後任の活動を
見守っています。でもこうした会でさえ、後任の方々の思いや価値観の多様化で当初目的か
ら変節・衰退・隆盛するかは分かりません。神と子孫のみが知る事でしょうね。

今回は長文になってしまいましたが、私が一番気にしている事は、しょせん人間のやる事。
当初はおそらく必要性のあった組織や、組織を補完する必要性があって結成された会も時
の流れと共にいつの間にか形骸化して役割を終えてしまうものです。その過渡期に直面す
ると様々な葛藤を生じたり、苦しんだりするのでしょう。かなめ会と称する会も当初の役
割りから今や無用の長物?となって変節しているのでしょうが、内部崩壊の兆しはこうし
たところから始まるのです。

私たちは自分に与えられた寿命の範疇で物事を考える事は当然なのですが、歴史をつなぐ
役割から検証すると、身近なところに手本がたくさんあります。特に大和奈良は歴史の宝
庫ですから、滅びの歴史、新たな体制の発芽、隆盛の時、衰退の時、滅びの時、多くの実
例が飛鳥~奈良~平城京の歴史を学ぶ事で見えてきます。そして神道・仏教の教えが民衆
の中で葬式仏教と祭礼神道として生き残り、民衆は一定の距離をおいて付き合っている事
が見えてきます。
大上段に言えば、私の役割は先祖から子孫へ陽気暮らしのDNAを繋ぐ役割を持つて現世に
出していただいた訳ですから、今の与えられた環境で精一杯努力して行こうと思います。

教祖様が私たちに示された天理の教えを私は求めていますが、天理教教団組織を信仰して
いる訳ではありません。従って無理の無い一定の関わりは便宜上持ちますが、滅びの一翼
を担う権威主義や惰性的信仰指導には、静かに従いません。最近は声高にギャーギャーと
騒がず、静かにおとなしく従いません。一時期は布教所か道一条を強く求められましたが
静かにおとなしくやんわりと従いません。拒否ではなく従いません。
お供えは、最初に頭に浮かんだ数字をお供えします。あくまで最初に浮かんだ数字です。

教団組織が滅びの道を歩むとしたら、末端教会は路線変更ができる選択肢がありますよね
エネルギーは必要ですがね・・・。この場合上に行けば行くほど最終の歴史は悲惨なので
す。今の時代の徳分を現役がどんどん消耗してしまい、次世代がさらに食いつぶす。
つまり現在から~子供~孫~曾孫と見た場合、曾孫の代まで教盛が維持されているのだろ
か?と素朴に思います。もちろん部下教会でも途中で後継の道が途絶えてしまうのだと仮
定するとですが・・・歴史で見るとそういう事です。自分の寿命で見ることも必要ですが
子供、孫、曾孫の代を想像すると、滅びの歴史は教団組織の形骸化と硬直化から始まる事
が理解できます。今後50年?それとも100年?歴史の流れから見ればアッという間な
のです。

今回はチョッと長くてすみません。色々と頭に浮かんできてきてしまい、終わりが見えな
くなってしまいました。








 

かなめ会

 投稿者:末端会長  投稿日:2012年 4月14日(土)11時00分53秒
  組織改革は今までさんざん言われてきました。でも、全然変わらないのはかなめ会のような組織があるからです。この組織が心ある教友の建設的な改革案をことごとくにぎりつぶしてきました。本教における一列きょうだいの理念の実現のため、すみやかな解散を希望します。

 

かなめ会

 投稿者:twtom  投稿日:2012年 4月14日(土)09時27分36秒
  天理教教団内の親睦会的組織。宗教法人天理教の教団内では実質的な支配権を握っていると言われる。
 

天の理さんへ

 投稿者:中年  投稿日:2012年 4月13日(金)21時42分59秒
  早速に返信いただきまして恐縮です。有難うございます。
組織改革の必要性は私も強く感じています。天の理さんの言われるように教えを掘り下げる
機会を求めて、書籍の購入や様々な講演会・勉強会に参加したり、比較論として他の宗派の
研修会に参加させていただくなど、ささやかながら研鑽に励んできました。
修養科・講習は既に終了しているので、改めて三日講習を受講し直してみたりです。
そうした中でつくづく思ったのは、教祖様がこれだけ優しく明るい希望の持てる教えを伝え
てくれたのに、教団組織の関係者は陽気暮らし陽気暮らしと言いながら前世の因縁・身上の
お手入れなどの説明では、完全に仏教系の因縁論・宿業論と重なった理論展開でした。
そして、それを埃として祓うための、おつとめ・ひのきしん・お供え・云々・・・と自らの
体験談(身上・事情のお手入れ)を交えた講義が続く訳です。
私は率直に、祭儀式は神道、因縁は仏教との印象を強く持ちました。
これは、私が便宜上つかう表現ですが、【経験的惰性信仰】の弊害であると思うのです。
教会組織が信仰者の教化育成の場所・陽気暮らしの広め場所ではなく、徳川御三家、旗本、
親藩、譜代、外様のような権威主義の場所に成り下がってしまったと強く思います。
しかもこの階級制度、権威主義は天理教がもっとも否定した分野だったと思います。
天の理さんの指摘されるように、信仰の掘り下げを進めると、教会制度の硬直化による教え
の歪みが顕著であることが実感できます。
親神様・教祖様と個人が向き合って信仰を深めるという個人修養を主張する意見もあるので
しょうが、そうした一部の素晴らしい信仰者だけで天理教は成り立ってはおりません。
むしろ私達のように陽気暮らしの道を求めて右往左往している一般信者の教化育成が教会、
教団組織の役割だと思います。しかも効率的に。
私はこれからも一信仰者として既存組織のあり方を厳しく問うてゆくつもりです。

長くなりましたが、天の理さん。また一つ教えて下さい。想像はつきますが【かなめ会】っ
てどういう組織ですか? 毎度毎度すみません・・・。
 

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